最近はあまり聞かれなくなった「ゆとり」という言葉。
「ゆとりを持ったスケジュール管理を」「ゆとりをもって座って下さい」なんて使うこともあるかと思いますが、今回は「ゆとり教育」の話。
そもそも「ゆとり」を調べてみると『物事に余裕のあること。窮屈でないこと。』と出てきます。
つまりゆとり教育とは「知識を詰め込み過ぎず、物事に余裕を持った人材を育てること」という風に言い換えても差し支えないと思います。
なんだ、だったら政策的には十分成功してるじゃないか。何を大人は今更「ゆとり世代はこれだから~~」とか嘆いているのでしょうか…。しかも最近は「脱ゆとり教育」とか掲げて、まるでゆとり教育が失敗だったかのように国が振る舞っています。
まぁ百歩譲ってゆとり教育が失敗だったとしましょう。だからといって詰め込み教育に戻すというのはどういう意図があるのでしょうか。大人たちは子供にどういう理想図をい描いているのでしょうか。
円周率を3.14159265359と知ることはもちろん大切なことです。メンデルの法則だって知らないよりは知っている方がいいに決まっています。統計だって大人の世界では十分役に立ちます。
ただ、それをわざわざ「義務教育」で教えることに何の意味があるのでしょうか。これを知っていると素晴らしい大人になれるのでしょうか。たぶんなれないと思います。だって今の大人を見れば、いかに詰め込み教育が失敗だったか一目瞭然だと思うのですが…。
いつの時代も若者は「時代の大人」に目の敵にされてきました。
タケノコ族やコギャル、ポケベルにプリクラ。いつの時代も「最近の若い者は…」と大人たちの嘆きが聞こえてくるようです。
僕が思うに、子供というのは「親の生活の理想」を投影したものなのではないかと思います。
きっと今の親世代はモーレツ忙しい時代を生きてきて、せめて子供たちには「ゆとり」をもって生活してもらいたいと思っていたのではないでしょうか。
逆に今の親世代が子供だった頃の親は、戦争などで学が無く「たくさん勉強して国を豊かにしてもらいたい」という思いから、詰め込み教育が始まったのではないでしょうか。
そう考えるとゆとり教育が批判される理由も分かります。
きっと大人たちは子供たちのことを「うらやましい」と思っているのではないでしょうか。だってそうでしょう。大人の理想像を投影したのが今の子供なのですから。
脱ゆとり教育が本当に今の大人の理想像なのかは分かりませんが、きっとそうなのでしょう。
いつだって子供や若者は時代の最先端を生きています。批判するのはもちろん個人の自由ですが、それを抑制するのはいかがなものかと…。「これだからゆとりは…」と決めつけるのではなく、「ゆとり世代だからこそ…」という視点の転換をしてもらいたいものです(逆に若者から見た大人への視点もしかり)
ただ、「さとり世代」とか名前付けたやつはマジで嫌い。悟ってねーよバーカ!
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